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Practice Log③ 毎日運動してたのに、首と腰をやった話

目次

この記事を読むとわかること


・毎日運動していても怪我は普通に起きるという現実
・軽めという言葉がどれだけ危険な思い込みになりやすいか
・怪我はトレーニング中ではなく日常で起きることがある理由
・一箇所の不調が連鎖して別の部位に波及する構造

はじめに

無茶はしていないつもりだった。毎日やっているけれど短時間、高重量は扱わないしストレッチもしている。自分ではかなり理性的に運動している感覚があった。今振り返ると、その感覚そのものが危うかったのだと思う。

事件は出張明けに起きた

出張でジムに行けない日があり、翌日久しぶりにトレーニングへ向かった。更衣室で着替えながら、今日はまとめてやろうかという考えが頭をよぎる。危ないとは思いつつ、二十分で終わるし軽めだし普段から運動しているから大丈夫だろうと自分に言い聞かせていた。

背中、肩、腕を軽く回すつもりだった。アップはほぼ無し。体は温まっていると勝手に判断して、いつものショルダープレスから始めた瞬間、首に鋭い違和感が走った。そこで終了。まだ一種目目だった。

その日の生活は一変した。首が動かない。振り向けない。ずっとぎこちない姿勢のまま過ごすことになる。ジムに行くまでは完ぺきな一日の滑り出しだったのに、一瞬で最悪な一日のスタートになってしまった。

理性的な判断の落とし穴

上半身はしばらく休もう。ここまでは正しい判断だった。ただ同時に、下半身なら問題ないだろうとも考えていた。これが分岐点だった。

首が痛む間、スクワットやランジ、バイクHIITを続けた。上半身を休ませているから、ちゃんと調整できていると思っていた。でも実際には腰への負担が増えていた。スクワットでは主役、ランジでは安定役、バイクでは姿勢維持。知らないうちに腰だけが毎日働き続けていた。

怪我はジムではなく日常で起きた

数日後、会社で椅子から立ち上がろうとした瞬間、腰に強い痛みが走った。ジムでもトレーニング中でもない。何気ない動作だった。

頑張りすぎた結果ならまだ納得できたかもしれない。でもオフィスの椅子では説明がつかない。周囲に心配されても、下半身ばかりやっていたせいだとは言いづらい。

トレーニング中は気が張っているから耐えられる。逆に日常動作では注意が向いていない。その差が一気に表に出た感覚だった。

今回わかったのは、一箇所を痛めると別の部位がカバーに入るという単純な構造だ。首を痛めたことで上半身を止め、代わりに下半身の頻度を上げた結果、腰の出番が増え続けた。ジムでは耐えていた疲労が、日常動作で一気に限界を迎えた。

部分的に休ませているつもりでも、体全体で見れば働き続けている状態だったのだと思う。

軽めという言葉は便利だ。重量が軽い、回数が少ない、それだけで安心してしまう。でも役割が軽くなるわけではない。むしろ他の部位が休んでいる分、残った場所の負担は増える。

姿勢を保つ。安定させる。ブレを止める。そうした仕事を毎日続けていた腰は、最後に椅子という何でもない場面で限界を迎えた。

体はチームで動いている

最近ようやく実感したのは、体はそれぞれが独立しているわけではないということだ。誰かが休めば別の誰かがカバーに入る。その仕組みは優しいけれど、続ければどこかが崩れる。

気づいた時にはチーム全体が疲れている。今回の怪我はその典型だった。

どう設計を変えるか

毎日運動すること自体はやめない。ただし同じ部位に同じ役割を続けさせないこと、完全に休む日を設けることは必要だと感じた。主役の日もあれば脇役の日もある。完全に休む日もある。どこか一箇所でも痛めたら、全体を止める。それくらいでちょうどいい。

今回の怪我は根性不足でも年齢でもなく、設計の問題だった。続けることに意識が向きすぎて、壊れない仕組みを作れていなかった。

怪我をするとメンタルも揺れる。全部止めた方がいいのかと一瞬考えた。でも続けたいなら、無理をしない設計に変えるしかない。

いまは首と腰をなだめながら、安全な限界を作り直している途中だ。同じように軽めという言葉を繰り返しながら体を使い続けている人がいるなら、まずはどこかにしっかり休みを与えてほしい。怪我は特別な場面ではなく、案外、何気ない椅子から始まる。

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