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Practice Log⑥|仕事が楽しくないのは能力の問題じゃないという発見


はじめに|仕事がイヤじゃなくなったのに物足りない

仕事が嫌いなわけじゃない。
人間関係も悪くない。成果も出ているし、評価もそれなりにもらっている。

それでも、どこか満たされない。

昔の俺なら、この感覚を環境のせいにしていたと思う。違う会社なら、違う職種なら、違う人間関係なら。でも今は違うと感じている。これは環境だけが問題じゃない。自分の内側から火がついているかどうか、その違いだ。

楽しさの不在と内発的動機

刺激が足りないからつまらないのか。
忙しくないから退屈なのか。
評価が十分でないから燃えないのか。

どれも違う。

俺にとって決定的なのは、やらされている感覚か、自分の意思で選び取っている感覚かだ。条件が整っていても、外側の理由で動いている限り、どこかで冷める。逆にきつくても、自分の内側から湧いた動機で動いているときは踏ん張れる。

虚業感は、外発的な理由だけで動いているときに強くなる。給料や評価、安定のためにやっていると理解していても、心の奥が動いていないと積み上げの実感が薄い。

虚業に感じる理由

形として残らない。
自分の名前が刻まれるわけでもない。
十年後に語る姿が思い浮かばない。

そんなとき、仕事は消費に見える。今日も忙しかったのに、何かを前に進めた感覚がない夜がある。

これは能力不足ではない。俺の内側の動機と、今の仕事の接点が弱いだけだ。心が本気で欲しているものと、日々の行動がつながっていない。

憧れは逃避か?

地図に残る仕事がしたい。
形として社会に痕跡を残したい。

そう思うたびに、自分に問いかける。これは今の現実から逃げたいだけなのか、と。

けれど、いまの仕事も手は抜いていない。責任を放り出したいわけでもない。そのうえで、数年後も同じ方向を見ている自分が想像できる。

一時的なストレスから生まれた願望なら、環境が整えば消えるはずだ。だがこの欲求は消えない。むしろ時間が経つほど、自分の中心に近づいてくる感覚がある。

5〜10年スパンでの答え

感情だけで決めると揺れる。だから俺は時間軸を伸ばす。

このまま十年続けたとき、俺は胸を張れるだろうか。子どもに語りたいと思えるだろうか。自分の人生を使ったと言えるだろうか。

挑戦してうまくいかなかった後悔と、何も動かなかった後悔は質が違う。楽しいかどうかよりも、自分の内側が動いているかどうかのほうが重い。

どの山を登るかを自分の意思で決めたとき、迷いは少し静まる。

おわりに|能力ではなく、動機の問題

仕事が楽しくないと、自分を疑いたくなる。だが俺の場合、足りなかったのは能力ではなかった。内側から湧く動機だった。

評価や安定だけでは、心は動かない。自分の価値観とつながったときに初めて、力は出る。

虚業感は、自分の本心が動いていないというサインだ。


何に心が燃えるのかを問い直せという、内側からの合図だとおもう。毎日自分と対話することでだんだんと自分がわかってきた気がする。継続あるのみだ。

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